死者からの教え

先日、驚いた、というか、ぎょっとした出来事があったので、そのことを書きたいと思う。



最初の挫折


20代の前半に漫画家を志した僕は、はじめて本格的に描いた漫画が週刊少年ジャンプの漫画賞の最終候補に残り、浮かれていた。審査員は当時「ヒカルの碁」を連載されていた小畑健さん。受賞は逃したものの、担当さんがつき、僕の記憶が正しければ、「次は君でいこうと思っている」と言われた。


次の作品のネームにすんなりOKが出て、僕は1ヶ月間閉じこもって31Pの漫画を必死で描きあげた。結論から言うと、この作品がジャンプに掲載されることはなかった。その後、非常に雑な扱いを受け、それが漫画人生の最初のつまづきとなった。おそらくだが、僕より気に入った新人を見つけたのではないかと思う。


けなされたり、ダメ出しをされていれば、そのポイントを直そう、頑張ろうと思えたと思うが、僕の場合褒められてしかいなかったので、その時点でどうしていいかわからなくなったのだ。大手ってこんな感じか・・・という諦めを抱いた。今思うと、それでも食いついていかなければいけなかったと思う。でも、そのときの僕は、そうは思えなかった。ほとんど漫画のことを知らないくせに自惚れだけは一丁前の生意気な若造だったし、漫画家にはなれるだろうと思って疑わず、一作目の漫画を描く前に仕事をやめていたので、生活費を稼ぐ必要があった。



「子供の漫画を描きなさい」


宙に浮いたジャンプ用に描いた読切り漫画を、別の1話完結の漫画が主に掲載されている雑誌に投稿したところ、使ってもらえることになった。20万円ぐらいになったと思う。漫画が掲載された雑誌のジャンルはレディースコミック、いわゆるレディコミだ。少年漫画用に描いた漫画なのだから、もちろん雑誌の色とは違う。よく使ってくれたと思う。でも、そう思えるのも今だからこそで、若かった僕は〝当然〟と思っていて、感謝の気持ちというのはまったくなかった。当時の自分を殴ってやりたい。

それから10年、その系列の雑誌のお世話になる。言うことを聞かない、雑誌の漫画と毛色も違う、人気も出ない、そんな僕の漫画を使い続けてもらえたのは、編集長のOさんの力が大きかったと思う。初期の頃は直々に僕の担当をしてくれていた。


O編集長は最初からずっと、ことあるごとに僕に、「君は子供の漫画を描きなさい」と言っていた。その当時僕が描いていた漫画には小さな子供はほとんど登場していなかったし、取り扱っているレディコミとは関係のないジャンルであるにもかかわらずだ。若かった僕は編集長のそのアドバイスを聞かず、子供の漫画を作るということは1回しかしなかったが、いろいろあって後に自分の子供の漫画を描くようになった。売れなかったが、自分のキャリアの中では一番多くの人に見てもらえて、一番多くの評価をいただける漫画になった。それも、その評価は大人のやり取りの部分ではなく、子供のエピソードに集中している。これはたまたまだろうか?最近、それがたまたまとは思えず、O編集長の目は正しかったのだと思うようになった。



O編集長の勧め


O編集長の雑誌で僕の漫画が使ってもらえなくなり、諦めて他の出版社を当たったり、フリーのイラストレーターのような活動を始める。幸い定期的にやらせていただける仕事をいくつかもらうことができた。それらの仕事をこなす合間に描いたラフの読み切り漫画をネットに無料で投げたところ、それがある編集者の目に留ることとなり、書籍出版を前提としたブログ活動を開始することになった。O編集長の訃報が届いたのは、僕がブログ活動を開始して、しばらく経った時のことだった。


O編集長が体調を崩して入退院を繰り返すようになり、僕の漫画を気に入ってくれていた担当の女性編集さんが結婚を機に退社したことによって、僕の漫画は使ってもらえなくなっていった、と思っていた。でも、その受け取り方は間違いだと今はわかる。支持者がいなくなったから使ってもらえなくなったのではなく、雑誌に貢献する漫画を作ってこなかったから使ってもらえなくなったのだ。単純に力不足、ということ。支持してくれていたO編集長と当時の担当さんには感謝の気持ちしかない。


ブログを中心とした活動もそろそろ4年が経つ。その間に2冊の書籍を出版させていただいたが、残念ながら結果は残せなかった。そろそろ別の活動を・・・という段階で、O編集長のことが頭に浮かんだ。「子供の漫画を描きなさい」、それ以外に何か僕にアドバイスはなかったか?


僕はある1冊の本を何度も勧められていたことを思い出した。読もう読もうと思いながら、読まずにそのままになっていた漫画。先日購入して目を通してみた。本のタイトルは発表しないが、ビジュアル的にも内容的にもハッとさせられる素晴らしい作品だった。


僕の漫画を大衆に受け入れてもらうためには、いくつもの課題があることは自分でもわかっている。ただ、できることと、わかっていてもできないことがあって、課題を言い出せばきりがないが、O編集長から勧められた漫画は、「それならばこういう手もある」そう提示してくれているような作品だった。すぐには無理だが、必ず今後に活かしたい。


僕は忙しかったので、その本に半分ぐらい目を通した時点で、続きは後でじっくり読むことにした。本の間に何か挟もうと思ったが、しおりがなく、本についている紐もない。しおりの代わりになりそうな、少し厚めの手頃な紙を探す。なんでもよいのに、これといったものが見当たらない。机の引き出しを探す。1段目、なにもない。引き出し2段目を探した時ハガキがあったので、やや大きかったがこれでいいかと思い、本に挟む。机の上に本を置いた時、気づいてぎょっとした・・・。僕が本に挟んだのは、O編集長の訃報を知らせるハガキだったのだ・・・。

「O編集長、お世話になりました。僕、子供の漫画を描きましたよ。そして、遅くなってすみません。ためになる本をありがとうございます」


心の中で、そうつぶやいていた。


チンタイム

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丸本チンタ

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